ペリー艦隊による江戸時代末期の気象観測記録
久保田尚之(北海道大学)
日本での気象観測は1872(明治5)年に函館ではじまった。それ以前も気象測器を用いた観測はあるが、個人が短期間実施してきたものが多い(Zaiki et al. 2006)。このため、江戸時代の気候を復元するには主に古文書の記録に頼った調査がほとんどであった(山川1993)。
図1:マシュー・ペリー(ウィキペディア)
一方で欧米に目を向けると、17世紀に気圧計が発明され、気象観測が行われていた。江戸時代日本は鎖国をしていたが、欧米各国は大航海時代であり、多くの艦船がアジアに進出していた。19世紀になると気象測器を積んだ艦船が日本近海にも数多く航行するようになった。航海日誌は各国の図書館に保管されており、航海日誌から気象データを復元する試みが行われている(Brohan et al. 2009)。ここでは、江戸時代末期の1853年から1854年に日本に来航し、開国を迫ったペリー艦隊に着目し(図1)、アメリカ公文書館に保管された航海日誌に記載された、日本周辺で観測した気象データを復元したものを紹介する。
図2:ミシシッピ号の東京湾に来航した1853年7月8日の航海日誌
東京湾に現れた1853年7月8日のミシシッピ号の航海日誌を図2に示す。1時間ごとに気象観測を行なわれたことがわかる。ミシシッピ号は1852年にアメリカ東海岸を出港し東回りに航海し、1853年7月に日本に来航した(図3)。
図3:1852-1855年のミシシッピ号の航路
その後香港で年を越し、1854年2月に再び来航し、その後は東回りでアメリカ東海岸へ帰港した。ミシシッピ号の航海日誌に記載された気象データはデジタルデータに入力し復元した。
図4:ミシシッピ号の東アジア周辺の航路
図4に東アジア周辺で航海したミシシッピ号の航路を示す。1854年に再び日本に来航した際、下田沖に停泊中の1854年6月6-8日の気圧・風・雨の有無を図5に示す。6-7日に雨を伴って気圧が低下し、その後北風が強化しており、低気圧が通過したことがわかる。古文書の武江年表には6月7日に江戸で落雷があったと報告されており、この低気圧による影響と推測される(田口1943)。
図5:1854年6月6-8日のミシシッピ号の気圧(緑点)、風(矢印)、雨の有無(雨の場合青点)
18世紀末から19世紀にかけて東アジアを航行した外国船は10か国以上知られている。例えばイギリスだけでも、この期間1万以上の航海日誌が図書館などに保管されている。今後は外国船の航海日誌に記載された気象データに着目することで、江戸時代の日本周辺の気候が明らかにできると期待される(久保田2018、久保田他2018a,b)。
参考文献
Brohan, P., R. Allan, J. E. Freeman, A. M. Waple, D. Wheeler, C. Wilkinson and S. Woodruff, 2009: Marine observations of old weather, Bull. Amer. Meteor. Soc., 90, 219-230.
久保田尚之, 2018: 18世紀末から19世紀の北海道周辺での気象観測記録, 細氷, 84, 3.
久保田尚之, R. Allan, C. Wilkinson, P. Brohan, K. Wood, M. Mollan, 2018a: 江戸時代後期に来航した外国船の航海日誌の気象データから復元する日本周辺の気候, 2018年秋季大会要旨集, 日本気象学会, B366.
久保田尚之, R. Allan, C. Wilkinson, P. Brohan, K. Wood, M. Mollan, 2018b: 外国船の航海日誌に記載された気象データから復元する江戸時代後期の日本周辺の気候, 2018年春季大会要旨集, 日本地理学会, 532.
田口龍雄, 1943:日本気象史料総覧, 中央気象台, 地人書館.
山川修治, 1993: 小氷期の自然災害と気候変動, 地学雑誌, 102, 183-195.
Zaiki, M., G. P. Konnen, T. Tsukahara, P. D. Jones, T. Mikami and K. Matsumoto, 2006: Recovery of nineteenth-century Tokyo/Osaka meteorological data in Japan, Int. J. Climatol. 26: 399–423.