シーボルト来航200年記念、国際シンポジウム (オンラインZoom開催)のお知らせ

今年は,シーボルトが長崎に来航し,出島で気象観測を行った1823年から200年目になります。そこで,下記のプログラムで記念の国際シンポジウム(オンラインZoom)を開催しますのでご案内いたします。

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シーボルト来航200年記念・国際シンポジウム
「出島での気象観測とその歴史的意義:環境史・東西交流史の観点から」
International Symposium for the 200 years Anniversary of
the Arrival of Von Siebold at Nagasaki,
with special reference to Meteorological Observation at Dejima
from the viewpoint of Environmental History and East-West Exchange.

2023年10月28日(土)October 28(Sat.), 2023 10:00 – 16:00
会場: 出島メッセ長崎・会議室106 Dejima Messe Nagasaki + Online Zoom

主催: 日本地理学会・気候と災害の歴史研究グループ
Organized by AJG Study Group for the History of Climate and Disaster
後援: Supported by
長崎市 Nagasaki City
長崎地方気象台 JMA Nagasaki Meteorological Observatory
(公社)日本地理学会 Association of Japanese Geographers
(公社)東京地学協会 Tokyo Geographical Society
日本気象学会・気象学史研究会 MSJ Research Group for Meteorological History
日本気象予報士会・東京支部 Certified and Accredited Meteorologists of Japan (Tokyo Branch)

オンライン参加のご案内:

 本シンポジウムでは,長崎会場で開催される講演をオンラインZoomでライブ配信します。
オンラインでの参加を希望される方は,件名(タイトル)を「長崎シンポ参加希望」として,下記のシンポジウム事務局(アドレス)宛に氏名と所属を明記したメールをお送り下さい。申し込み期限:10月26日(木)。折り返し,招待URLのリンクとミーティングID、パスコードをお送りします。

国際シンポジウム事務局 E-Mail:vonsiebold200@gmail.com

多数の皆さまの参加をお待ちしています(参加費無料)。

プログラム Program

10:00-10:10 開会挨拶と趣旨説明 塚原東吾(神戸大教授)【日本語】
Opening Address by Togo Tsukahara (Professor at Kobe University)【in Japanese】
10:10-10:20 挨拶 シーボルト記念館・徳永宏館長【日本語】
Greeting Address by Hiroshi Tokunaga (Director of von Siebold Memorial Museum) 【in Japanese】
10:20-10:30 挨拶 長崎外語大・姫野順一学長【日本語】
Greeting Address by Jun-ichi Himeno (President at Nagasaki University of Foreign Studies) 【in Japanese】

10:30-11:30三上岳彦(東京都立大名誉教授):シーボルトの気象観測データと1828年シーボルト台風の解析【日本語】
Takehiko Mikami (Professor Emeritus at Tokyo Metropolitan University): Analysis of the 1828 Siebold Typhoon based on meteorological observation data from Dejima, Nagasaki【in Japanese with English on PPT】
11:30-12:00 財城真寿美(成蹊大教授):出島(長崎)における19世紀の気象観測記録 【日本語】
Masumi Zaiki (Professor at Seikei University): Meteorological Observation Records at Dejima, Nagasaki in the 19th Century 【in Japanese with English on PPT】
12:00-12:30 平野淳平(帝京大准教授):19世紀の気象観測記録による冬の気候復元 -長崎出島の気圧データの活用例-【日本語】
Junpei Hirano (Associate Professor at Teikyo University): Reconstruction of the East Asian winter monsoon based on early meteorological data in the 19th century -application of Nagasaki (Dejima) data for climatological analysis- 【in Japanese with English on PPT】

12:30-13:30 (Lunch Break)

13:30-14:30 Bruce Batten(アメリカ・カナダ大学連合日本研究センター所長):19世紀の長崎出島における気象観測の歴史的意義【日本語】
Bruce Batten (Resident Director, Inter-University Center for Japanese Language Studies): The Historical Significance of Meteorological Observations on Dejima Island, Nagasaki in the 19th Century
【in Japanese with English on PPT】
14:30-15:30 Robert-Jan Wille(オランダ・ユトレヒト大准教授):19世紀の東アジアにおけるオランダ人・ドイツ人の気象研究: 長崎のシーボルトとそのレガシー【英語★】
★通訳については要点についての逐次翻訳
Robert-Jan Wille (Lecturer at Utrecht University, The Netherlands): The Study of Weather by Dutch and Germans in East Asia in the 19th Century: Von Siebold in Nagasaki and his legacy 【in English】

15:30-16:00 (Q & A)

16:00 終了(予定)Closing

 

開催趣意
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塚原東吾

シーボルト来航200年を記念して、国際講演会・シンポジウムを開催する。シーボルトの業績の中でも、特に出島での気象観測について、歴史気候学・科学史・環境史の観点から検討する。

(歴史気候学の観点)
気候変動や地球温暖化問題などに関連して、近年では、「環境史」と呼ばれる分野が注目を集めるようになっており、過去の気候の再現が重要になってきている。その際、過去の気候を研究するために、歴史気候学の観点からの研究が進んでいる。その観点から見ると、シーボルトが出島で行なった科学的調査活動、中でも気象観測は、貴重なデータを提供している。このことは、三上岳彦(都立大学名誉教授)やグンター・コンネン(オランダ王立気象研究所)・財城真寿美(成蹊大教授)をはじめとする研究者の手で、オランダと日本の研究協力を通じて、明らかにされてきた。
シーボルトの気象観測については、現在では様々な形での解釈が進んでおり、新たな切り口を見せている。本シンポジウムでは、シーボルト事件の発端となった「シーボルト台風」についての解析(三上)、19世紀の気候再現における意義づけ(財城)、そして気圧データの復元による冬の気候復元(平野)など、さまざまな知見が得られている。

(東西交流史・環境史の観点)
環境史を紐解く上でも、東西交流史の接点である長崎で、このような気象観測がなされており、過去の気象についての歴史的事実が明らかになったことは極めて大きな現代的な意義を持つ。例えばこのことは環境史・歴史学の専門家である、ブルース・バートン(アメリカ・カナダ大学連合日本研究センター所長、歴史学・環境史)らからも評価を受けている。

(世界史・科学史の観点)
シーボルトらが長崎・出島でさまざまな科学的調査活動を行なってきたこと、中でも自然誌についての調査・収集活動は、彼と彼の協力者らによる、『日本植物誌』、『日本動物誌』などの大著で、よく知られている。それに加えて、気象観測を含むさまざまな地球科学的な環境研究を行っていたことは、科学史上から見ても、大きな足跡であることは間違いない。これらのことについては、オランダから、ユトレヒト大学・科学史のRobert-Jan Wille氏を招待し検討をする。

以上のように、歴史気象学・科学史・環境史の観点からは、東西交流における国際都市・長崎の位置付けや、ここで行われた自然科学研究の歴史的意義が、更に重要性を増してきているとも言えるだろう。
このことを再度検証するとともに、シーボルトの来航200年を記念して、シーボルトやオランダ系の海外での歴史的科学的調査についての業績を、現代的な視点から、再評価する記念シンポジウムを開催したい。

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Abstract

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三上岳彦:出島気象観測データによる1828年「シーボルト台風」の解析

長崎・出島では,19世紀前半から後半にかけて,オランダ人医師らによる気象観測が行われ,気象庁の公式気象観測より50年ほど遡る日本でもっとも初期の気象データが残されている。これらの観測データは,次の講演者であるDr.Zaikiらによって補正と均質化が行われ,デジタル化が実現した。
Von Sieboldは,1824年から1828年にかけて,断続的ではあるが1日3回の気温と気圧の観測を行った。彼の観測データを用いて,我々は1828年9月18日に長崎に上陸した史上最強の台風の強度や経路を推定することができた。この台風は,後に「シーボルト台風」と呼ばれ,「シーボルト事件」の発端となったことで知られている。本講演では,シーボルトによる気象観測原簿に基づいて,シーボルト台風の上陸前後の気圧変化や強風による被害の状況,日記の天気記録による台風経路の推定などについての解析結果を紹介する。

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財城真寿美:出島(長崎)における19世紀の気象観測記録

日本では気象庁による公式気象観測が函館気候測量所で開始された1872年以前の観測記録は存在しないと考えられてきた。しかしながら,近年の研究により19世紀初頭の出島で、シーボルトをはじめとするオランダ人らが行った気象観測記録の所在が明らかとなった。出島における19世紀の気象観測記録は,測器を使用した日本最古の近代気象観測記録であり,小氷期終了前後の日本の気候変動を解明する重要な気象データであるといえる.本講演では,出島の気象観測記録をデジタル化する過程で分かった当時の観測者や記録の特徴,そして出島の気象データから明らかになった19世紀以降の日本の気候変動について紹介したい.

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平野淳平: 19 世紀の気象観測記録による冬の気候復元 -長崎出島の気圧データの活用例-

 長崎(出島)、東京、北京で観測された19世紀の気圧観測データと、江戸時代の古日記に記録されている天候記録をもとに、1840-50年代の東アジア冬季モンスーンの年々と、季節内変動についての気候学的分析を行った。1840年代前半は、1・2月を中心に季節風吹き出し頻度が高く、寒冬傾向が強かったことが分かった。一方で、1840年中頃は、厳冬期の季節風吹き出し頻度が低下しており、暖冬年が頻繁に出現していたことが明らかになった。長崎(出島)、東京および、北京での気圧観測値をもとに、日本周辺の東西気圧差の季節内変動を解析した結果、北日本の日本海側地域で降雪が続く期間に、東アジアで地上気圧の東西差が強まっており、冬型気圧配置が強かったことが明らかになった。これらの結果から、長崎(出島)をはじめとする古気象観測記録は、19世紀の東アジアの冬季の気候を理解する上で重要な観測データであるといえる。

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ブルース・バートン: 19世紀の長崎出島における気象観測の歴史的意義

本発表では、19世紀前半、長崎・出島においてオランダ人(厳密にはドイツ人)医師が行った気象観測の歴史的意義に焦点を当てる。歴史学者の仕事は過去を解明することだが、追求する研究テーマは、しばしば現代の関心事を反映している。現代地球社会の主要特徴として、グローバル化と気候変動を含む環境破壊が挙げられる。多くの歴史学者が、グローバル化の起源と発展、人間社会と自然環境の関係史に関心を持つのは当然であろう。出島におけるシーボルトなどの科学的活動は、この2つのテーマに大いに関係している。グローバル化という観点からは、彼らは、西洋の科学知識を日本に伝えただけでなく、日本の地理や気候などに関する情報をヨーロッパに発信し、結果として日本がグローバルな情報圏の中に組み込まれるようになった。一方、環境史の観点からは、シーボルトなどの気象観測は、過去の気候の復元や現在の気候危機の起源を理解するのに役立つデータを提供し、重要な意味を持っている。

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ロベルト・ヤン ヴィッレ:19世紀の東アジアにおけるオランダ人・ドイツ人の気象研究:長崎のシーボルトとそのレガシー

本発表では、ドイツ人の学者であるフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796-1866)が日本にもたらした新しい気象学の実践に光を当てたい。彼は長崎でオランダ帝国のために働いていた。オランダのために働く他の多くの学者と同様、彼はドイツ人、あるいは彼のような多くのドイツ人が、「山オランダ人」と呼ばれた。長崎でこの異なるヨーロッパ語に関する疑惑をこれ以上増やさないためである。しかし、いくつかの点で、シーボルトは、近世(1500~1800年)において、オランダ人を長崎に派遣した組織であるオランダ東インド会社の大きな枠組みで働いていた多くのドイツ人とは異なって。シーボルトは、オランダ東インド会社の組織的目的にシームレスに適合した人物であったのだ。
現在では、フォン・シーボルトは蘭学(日本におけるオランダについての学問)の長い伝統の中にあると見なされる傾向にある。だが、私は別のヨーロッパの学問的な伝統の中でフォン・シーボルトの気象学を研究することを提案する。つまり、シーボルトの気象学は、当時ドイツで盛んだったフンボルト科学と呼ばれる枠組みの中で論じることが最も適切であると考えられるからである。日本における実践は、ある種のハイブリッドである「フンボルト学」とも言えるものであった。シーボルトは、ドイツ・バイエルン州からオランダを経て日本に「フンボルト学」を持ち込み、「日本におけるフンボルト」として、日本を重要な科学の場としてヨーロッパ諸国(そして北アメリカ)に売り込んだのである。シーボルトのもとでは、フンボルト科学は、「オランダの」科学として売り込むことも可能だった。それはインドネシアでオランダのために仕事をしていたドイツ人たちと同じようなものだったと考えていいだろう。例えば、「ジャワのフンボルト」と呼ばれたプロイセン人のフランツ・ユングフーン(1809-1864)と同じような立場である。彼らのように、太平洋地域におけるドイツの科学の実践を拡大を可能にしたのは、オランダの政治的基盤が存在していたからである
しかし1853年以降、すなわち幕末に入ると、オランダは日本におけるヨーロッパで唯一であったアクセス権を失った。東方におけるオランダの植民地はジャワ島をはじめとするインドネシア諸島に集中し、プロイセンやバイエルンといったドイツの諸国家は、気象学的な日本の「開国」(これは「気象知識の強制をしたこと」の婉曲表現であるが)を、率先して行った。しかしこれは一夜にして実現したわけではなく、日本にドイツ式の新しい気象観測システムが登場したのは19世紀の末期であった。
本講演では、シーボルトの気象観測を、プロイセンの将校で明治政府に仕えたエルヴィン・クニッピング(1844-1922)のような、長い19世紀における「新しいドイツ気象学」の他の試みと比較したいと思う。オランダ人は徐々に日本での存在感が薄れ、ドイツ人はますます存在感を増していった。シーボルトから約100年後の1920年代、気象学者たちが気象観測用気球(1890年代の発明)を使ってより高い位置から地球の大気を測定するようになると、気象学における日本、ドイツ、オランダの三国間の関係は完全に変化した。例えば大石和三郎(1874-1950)のような日本の気象学者も積極的にドイツで修業を積んだ。また、オランダ人も積極的にドイツ人から学んでいた。

それでもオランダの気象学者は、インドネシア群島への独自のアクセスを持っていて、ウィレム・ファン・ベンメレン(1868-1941)がジャカルタ(当時はバタビア)で気象観測気球を飛ばしていた。そのころ、大石は、ドイツが優位性を保つようになったヨーロッパでの気象学を、太平洋地域で統合することに先んじていた。日本の気象学者・大石のジェットストリームについての研究は、ドイツ人やオランダ人に先んじており、世界規模ではるかに成功していたと言える。オランダと日本の気象測定の話が、なぜ日本とドイツの関係の話になったのか?気象学者たちがなぜ特定の場所や高度で大気を測定したのかを理解するためには、パワーバランスの変化について検討することが重要だからである。そして、シーボルトの来日から100年後の19世紀には、やはりヨーロッパ内のバランスの変化が、太平洋での気象観測に大きな影響を与えていた。19世紀の太平洋における科学的気象学は、国際協力、競争、紛争、そして植民地主義の結果であり、これらのプロセスから分離してそれを考えることは時に極めて困難なことであるのだ。
(塚原東吾・前田暉一朗 訳)

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